特集

新たなランドマーク出現で変貌する
道玄坂坂上~円山町周辺事情

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■かつての「花街」=円山町の歴史

「渋谷マークシティWEST」を抜けた「道元坂上」交差点から国道246号線へとつながる道路の西側に広がるのが円山町~神泉。渋谷駅から徒歩5~10分の距離にありながら、周辺の風景は駅前と大きく異なり、路地が入り組んだ起伏の多い坂道に小規模な建物が密集し、異なる“文化圏”の香りさえ漂う。特にラブホテルとクラブ、ライブハウス隣り合わせに集積する円山町は、初めて足を踏み入れた者にとってまさに“異次元空間”。しかし、この地は同時に現代のクラブカルチャーの発信地であり、長い間、明治時代から今日に至るまで渋谷の「夜」を彩ってきた歴史のあるエリアでもある。

道玄坂上から道を折れた円山町、そして坂を下った神泉町には、明治時代から浴場と料理店を兼ねた弘法湯があったことから、花街として発展する。1920年に渋谷駅が現地に移ってからは宮益坂から道玄坂へと賑わいは移り、隣接する円山町は道玄坂の商店の旦那衆が通う小さな花街へと変貌を遂げる。1913年には 芸妓屋24戸、芸妓60、待合茶屋13戸をあわせて、15,000坪の三業地(料理屋、待合、芸妓屋の許可地)に指定。路面には数多くの料亭、裏通りには仕出し屋が建ち並んでいたという。1919年には、渋谷三業株式会社を創立して隆盛期に入り、大震災直前には芸妓数420名を数えるようになっていた。1932頃から富国強兵政策が推し進められると、駒場、目黒、三宿などに大隊の兵舎が設けられ、“円山花街”は軍の高官の御用達となり、さらに発展を遂げる。1945年の空襲によって花街は倒壊するが、連合国軍の進駐と同時に円山町はその慰安所に指定され、すぐに復活を果たす。戦後も幅広い層に支持され、渋谷唯一の“三業地”として名を馳せる。しかし、1973年の「オイルショック」が円山町にも転機をもたらす。社用や接待が激減し、広い敷地を持て余す料亭は次々とビルに姿を変え、再開発の手が及ぶ前にあっという間に“ランブリングストリート”へと転身する。1990年代には1996年誕生の「クラブエイジア」など、若者カルチャーの先端を走る「クラブ」や「ライブハウス」が円山町に進出。円山町は道路を挟んで、伝統的な高級住宅地である松濤と隣接しているにもかかわらず、ラブホテルが密集し、若者たちが「クラブ」を求めて徘徊する、渋谷でも異彩を放つ混沌としたエリアへと変貌を遂げる。

周辺の流れが大きく変わり始めたのは2000年。同年4月、「オトナの渋谷」を標榜する「渋谷マークシティ」の開業によって、道玄坂上まで直通する新たな導線が誕生。道玄坂上~円山町~神泉町に回遊性を持ったひとつのルートが誕生した。そしてネット系クリエイターや飲食ベンチャー、クラブを核にしたエンタテインメントビジネスに着手する企業の手によって、いま円山町が動きはじめている。

円山町 円山町

■クラブ&ライブハウスの動向に注目

円山町には「WOMB」「CLUB ATOM」「HARLEM」「VRAS」などのクラブが集積し、“クラブ街”を築いているが、次の一歩を踏み出すクラブも見逃せない。1996年オープンの「クラブエイジア」や、1998年にオープンしたラテン音楽を中心とするエンタテインメント・スペース「VUENOS」などを経営する「カルチャー・オブ・エイジア」(本社:渋谷)は11月6日、「ヴエノス」のあるビルの5~6階に新たにラウンジ空間「ラウンジNEO」をオープンした。さらに「クラブエイジア」では2003年1月より、音や光や映像と、ダンスやパフォーマンスをリミックスした“五感を刺激する”日本初のフュージョン・ミュージカル「フューチャーマンショー」の上演を手掛ける。内容はクラブエイジアが発明したタイムマシンで25世紀から連れて来た「フューチャーマン」が渋谷を舞台に活躍するストーリー。同社では、既存のライブハウスやクラブ業態にシアター営業への取り組みを加えた「T.L.C.」としての総合的なスペース経営を目指しており、ミュージカルへの取り組みはこの一環となる。

クラブエイジア

一方、今夏、リニューアルのため幕を閉じた「オンエア・イースト」も、2003年秋のリニューアルオープンを目指して建替え工事が進む。

ON AIR
クラブエイジア ラウンジNEO オンエア・イースト

■神泉~円山町のもうひとつの顔=「IT関連企業」集積ゾーン

円山町は若者カルチャーがフォーカスされがちだが、神泉~円山町は著名なIT関連企業やWebデザイン事務所が集まるエリアでもある。インターネットビジネスのインキュベーション「ネットエイジ」(円山町)をはじめ、「アクシブドットコム」(神泉)、「イー・マーキュリー」(円山町)、「エイガアル」(神泉)、「イーフュージョン」(神泉)、「フリービット」(円山町)など、開設して10年に満たない元気なIT関連企業がこのエリアに集まっている。つまり、神泉~円山町は彼らが働くエリアでもある。

ネット系クリエイターはトレンドに敏感であることが求められるため、オフィスが情報発信地に立地していることは有利となる。ネット系・IT系ベンチャーが周辺に集積した要因には、IT事業を支える若くて創造的な才能を持つ人材が渋谷に多く集まっていたことと、円山町~神泉が当時、澁谷の他のエリアと比べてオフィスの家賃が安かったことなどが挙げられる。

1998年、松濤にオフィスを構えた「ネットエイジ」代表の西川潔氏が1999年3月、ネットイヤーグループ(桜丘)代表の小池聡氏の草案を基に「Bitter Valley構想」を宣言したことも要因のひとつ。“ビットバレー宣言”の地にオフィスを構えることは創業時のベンチャーにとって大きなメリットがあった。渋谷“ビットバレー”の誕生は、渋谷=IT先進エリアのイメージを全国に発信、さらに「渋谷マークシティ」「セルリアンタワー」「渋谷インフォスタワー」など、高層ビルのオフィス棟に公開組ITベンチャー企業が移転していったことも、記憶に新しい。さらに、ネット系・IT系ベンチャーが集まるエリアは、若いクリエイターが通うことによって、少しずつ洗練された街へと変化を遂げていく。これに伴い、居酒屋やバーがひしめく界隈にカフェやインテリアショップも登場している。さらに、Webマーケティングを営む企業が飲食店や物販店の経営に乗り出すケースも増えている。

2001年2月、「Bunkamura」から鍋島松濤公園へ向かう途中の雑居ビルの2階にオープンしたのが、ビンテージ家具と80年代のデザイン家電を扱う「PROTOGALLERY(プロトギャラリー)」(円山町)。円山町では初の業態で、80年代の国内外のデザイン家電を扱うショップは都内でも珍しい。経営するのは同ビルの3階にオフィスを構えるWebサイトの企画・構築・デザインを営む事務所の「ミューフォネット」。Webデザイン制作で著名な企業のWebサイトを数多く手がけるなど実績を持つ同社は、並行してオンラインで家具の販売を行っていたが、階下が空いたのでリアル店舗を開業した。同社代表の林さんは「神泉、円山町には“渋谷ビットバレー”の発祥の地ということもあり、今もデザイン系・マルチメディア系のオフィスが数多く集まっており、デザインや建築に関心のある人が立ち寄ってくれる。希少価値の高いプロダクトデザインを扱っているので、マニア系の人やインテリア関係の客も多い」と語る。立地については「業界人が多く、池尻や三宿へのアクセスもよく、車で通りかかる人も多い」と説明。リアル店舗の開設により「信頼感が生まれ、また商品を実際に見たいという方に喜ばれている」と手応えをつかんでいる。「今後はミッドセンチュリーの家具と、ニアレトロの家電のバランスをはかりながら商品を充実させたい」と、林さんは抱負を語る。

プロトギャラリー ミューフォネット

2001年7月にオープンした「o.p.t」(円山町)は、カフェとバーにDJスペースを設けたスタイルのDJバー。同店はインターネット関連コンテンツ制作や番組制作などを営む「ディー・ディー・エフ」(本社:渋谷)の経営。デザインセンスに長けた異色のベンチャー企業がDJバーを運営することも、渋谷らしい展開。

o.p.t
PROTOGALLERY(プロトギャラリー PROTOGALLERY(プロトギャラリー

■円山町に誕生した新しいランドマーク

今秋10月下旬、道玄坂上に竣工したのが新しいランドマークとなる、15階建てのテナントビル「E.スペースタワー」(円山町)。同時に歴史のある「道玄坂上交番」も同ビルの隣に新築された。坂の上にあることもあって、周辺ではその高さが一際目立っている。すでに11月18日には2階に「東京アカデミー渋谷校」が開校、12月1日にはインターネットビジネスの支援を営む「フリービット・ドットコム」が社名を「フリービット」へ変更、同時に本社を同ビル13階へ移転した。同社では本社移転に関して「従来の本社事務所が人員増加により手狭になってきたことの対応と、本社とコールセンターに分かれていた機能を1ヶ所に集約させることで事業の効率化を図った」としている。

また、12月13日には、プロスポーツ選手が通うことで名高いケビン山崎氏率いるトレーニングジム「トータル・ワークアウト渋谷店」が同ビル3階にオープンする。2号店にあたる「渋谷店」の開業にあたり、同社では「三田店(1号店)も多くの会員に利用してもらっているが、さらに交通の便が良い場所に出店したいと考えていた。多くの方にトレーニングを知ってもらえるし、生活の一部にしてほしいという希望を持っている。『E.スペースタワー』は目立つ建物であり、渋谷に来る人には飲食だけでなく、こういったトレーニングの場があることも伝えたい」と、渋谷出店の意図を説明する。同社代表のケビン山崎氏は1987年、シアトルに「トータル・ワークアウト」を設立し、パーソナル・トレーナーとして脚光を浴び、その後、「K-1」のフランシスコ・フィリオ選手や佐竹雅昭選手、武蔵選手など指導。近年では巨人軍の清原選手や格闘家の宇野薫選手、大相撲の千代大海関の指導で実績を挙げ、日本で最も著名なパーソナル・トレーナーになっている。

東京アカデミー フリービット トータル・ワークアウト
E.スペースタワー E.スペースタワー E.スペースタワー

一方、「E.スペースタワー」の斜め前の土地に建設中のビル「タグリート道玄坂」は、不動産会社「ジョイント・コーポレーション」(本社:目黒区)が開発し、東急建設(本社:渋谷)が施工する14階建ての共同住宅である。完成は2004年春。他にも円山町では今秋11月、14階建ての共同住宅「TKフラッツ渋谷」が完成、神泉でも来春2月完成予定の15階建て共同住宅「グラ-サ渋谷松濤」の工事が進められており、テナントビルだけでなく高層住宅の竣工も続く。都内各地で実施されている古いビルをリニューアルし、共同住宅に生まれ変わらせるマーケットは、住宅の都心回帰需要もあり、総じて好評を博している。円山町も高層オフィスビルや高層共同住宅が完成することで、界隈の景色が変わりつつある。

地元で不動産業を営む「棟家」(松濤)代表の上野さんは「円山町に住居を求める方で、もっとも多いのが音楽関係の人。とにかく音楽関係の人に人気がある。円山町から神泉にかけて住宅が増えてきたので、居住人口は確実に増えている」と、クラブとライブハウスの集積地らしく、音楽関係者が近くに住まいを求めていることがわかる。人気はワンルームマンション。一方、円山町で商売を始めようという需要については「円山町に飲食店を開業したいと言って店舗を探しに来る人も多いが「もう遅い」そうだ。物件は極めて少なく、仮に開業できても特徴がないと生き残れない」と語る。家賃はここ数年、横ばいで推移。上野さんは「住居が増えることで、これからは風俗中心の街から住みやすい街へと変わっていくだろう」と示唆する。一方、道路を挟んで隣にある松濤の居住者については「昔からの方は行きつけの店があるので、円山町には来ない。円山町は若い人と新規の人に人気が高い」とまとめる。

棟家/TE L03-3496-2431

■ラーメン店やバー、レストランも続々開業

2001年10月、旧山手通りの渋谷寄りにオープンしたのが「麺の坊 砦(とりで)」(神泉)。オープンと同じに、豚臭さは薄いが、きっちり煮込んだ豚骨スープと特徴のある細麺、独自の白濁豚骨がラーメンマニアの間で“ニューウェイブ豚骨”と評され、一躍新世代の旗手になる。店主の大坪さんは九州へラーメンの食べ歩きに出かけた際に、まだ一店舗しかなかった「一風堂」に惚れ込み、その場で弟子入りさせてもらったというエピソードを持つ。その後、中坪さんは「一風堂 ラーメン博物館店」の店長を務め、同店を人気店に押し上げた後、満を辞して独立。米は中坪さんの故郷・富山産を使用。木を基調とした親しみのある店舗デザインなどトータルのセンスも評価が高い。中坪さんは現地を選んだ理由を「駅の近くだと、いろんな人が来てくれるが、少し遠いところでも店を目指して来てくれるようでなければいけないと考えた。旧山手通り沿いは目の前が開けており、また車の方にもわかりやすいのでこの地に決定した」と説明する。すでに人気店の仲間入りした「砦」だが、中坪さんは謙虚に「まだまだ研究中」と語る。

麺の坊 砦/TEL 03-3780-4450
麺の坊 砦(とりで)

「Bunkamura」から鍋島松濤公園へ向かう途中の道路を挟んだ松濤側に2002年6月、オープンしたのが「亘's RICE(コウズライス)」。代々木八幡の「亘」(こう)の姉妹店にあたる。店はカフェ風の造りだが、料理は刺身、豆腐などの和食が中心。ITワーカーや若い女性に人気を集めている。同じく2001年6月に開店した「古典」(円山町)は、スタイリッシュな焼酎バー。「先入観なく焼酎の良さを知ってもらいたい」というオーナーによって厳選された焼酎が揃い、密かに人気を集めている。

亘's RICE/TEL 03-3463-4157 古典/TEL 03-3496-1899

12月18日、道玄坂上近くにオープンするのが、3店舗のラーメン店から成る「らーめんコロシアム」。「全国ご当地らーめんベスト3」を掲げ、1階には北海道らーめん「炎雪」と尾道らーめん「柿岡屋」が、2階には博多らーめん「どんたく」が同時オープン。円山町の入口に位置するだけに夜型ラーメン店の需要に注目が集まっている。

亘's RICE(コウズライス)

■グローバルダイニングの挑戦

フードビジネスの雄「グローバルダイニング」(本社:港区)は12月11日、前出の「E・スペースタワー」15階に新業態「レガート」、14階に国内3店舗目となる「権八 渋谷」を同時オープンした。ビルの最上階、15階にオープンした「レガート」は、「劇場」をテーマとした臨場感あふれる約200席ある空間が特徴。中世のモスク(寺院)を参考にしたという厳粛さと清楚さを併せ持つメインダイニングの天井からは、100灯もの照明が照らし出されている。“舞台”となる横幅20メートルもの大胆なオープンキッチンは、メインダイニングから全貌を見ることができ、ライブで展開される料理人やスタッフの仕事ぶりは文字通りキャストのように映る。また、全室違う個性的な内装の7部屋の個室、カーテンで仕切ることのできるプライベートエリアも用意。バーカウンターや個室から眺める渋谷の夜景と、メインダイニングの隅にしつらえた天井まで届く巨大なワインセラーも見もの。同社広報担当の林さんは「キッチン=ステージを楽しみながら食事をとることのできるのが特徴。全体にゴージャスだけど、いやらしさのない空間に仕上がっている」と説明する。

14階の「権八 渋谷」は、「権八」としては初の“SUSHIダイニング”と“KUSHI”と“SOBA”ダイニングを同フロアーに設け、初めてのテーブル席の個室(7部屋)を用意した点が特徴。インテリアは既存の「権八」にはなかった「和の中に“洋”をさりげなく取り入れる」(林さん)ことで変化が生まれている。明治初期の職人が空想した“洋館”の壁の色を個室に再現するなど、細かな演出が行き届いている。メインダイニングでは国産の粉を石臼で挽き打つ「手打ち蕎麦」と備長炭で焼き上げる焼き物が充実。 また、茶室をイメージした“SUSHIダイニング”とメインダイニングのガラスの向こうには、ライティングされた「緑の庭」を臨むことができ、大きな演出効果をあげている。「権八 渋谷」は2003年末、海外に初出店を予定している「権八」を意識した店であるだけに、和食に対するこだわりと店舗デザインには特に力が入っている。

レガート レガート レガート レガート

同社取締役最高執行責任者(C.O.O.)の新川義弘さんは、現地に2店舗同時に出店した理由を「イメージとしてホテル街やクラブが思い浮かぶが、そろそろ道玄坂~円山町に大人を呼び寄せてもいいのではないかと考えた。幸いビルが高台に位置し、景色も良い。さらに最上階の2フロアを使うことが可能になり、天井の高さも十分にあったので、ここで大人を意識した飲食を展開しようと思った」と語る。エレベーターが15階まで上がり、そこから14階へ徒歩で下りるようにしたのは「両店舗を見てもらう工夫」(新川さん)である。「実は渋谷には飲食の名店が多く、昔から道玄坂周辺は旦那衆が食べたり、遊んだりした街。若者の街というイメージが強いが、オシャレな不良中年も多くここで遊んでいた。そして最近、道玄坂~円山町の価値は再認識されつつある。外国人比率も高いし、「セルリアンタワー」を利用するエグゼクティブもこの界隈にあふれている。隠れたマーケットの強さがある」と、新川さんはエリアのパワーを分析する。また、「丸ビル」や「汐留シオサイト」、「六本木」など再開発ビルのテナントにあえて出店しない理由を「家賃が高いことと、自力で集客したいという会社の姿勢」と説明する。「ビルの中に入る安心感はあるが、人通りがない場所に店を出して、集客ができることが実力。当社はこれまでそうして開発を手掛けてきたし、飲食が集まる開発ビルとは異なるところで競争してみたい」(新川さん)。

一方、都心で行われている再開発ビルの集客の目玉を飲食店が担っていることに対して、新川さんは「かつてビル・インの屋上といえば、ゼネコンから業務委託を受けたレストランが入っていたが、最近では新しい企業である我々にもチャンスが巡ってきた。かつてはビルの集客といえばブランド・ショップだったが、ごく一部のブランドを除いては苦戦。顧客のニーズが飲食に移行し、ビルの集客を担うテナントも衣料から飲食に完全に移行した。それだけ飲食業界の力がついてきたことの証明でもある」と分析する。

グローバルダイニング
権八 権八 権八 権八

円山町が醸し出す色艶と猥雑さは、特定の人をひきつけるパワーにあふれている。古来より人間がエネルギーを発散する際には本能に根ざした音楽と飲食はつきもの。「ランブリングストリート」周辺に若者がエネルギーを発散する場であるクラブやライブハウス、飲食店が吸い寄せられるように集まっていったのも偶然ではないようだ。その猥雑な界隈に新たなビジネスを試みるITベンチャーが集まったのもまた興味深い。そこに定着したWebクリエイターが、今度は円山町にリアル店舗を出店し始めたことで、洗練されたデザインが少しずつ街並みに増えていることも見逃せない。

一方、2000年春の「渋谷マークシティ」の開業によって道玄坂上~円山町と渋谷駅が近くなったこと、オフィスワーカーの就業人口がアップし、道玄坂上~円山町にさらなるオフィス需要が高まったことなども無視できない。今秋、竣工した「Eスペースタワー」は文字通り道玄坂の“展望塔”のように坂の上に建ち、業態を問わず勢いのある企業の入居が始まっている。今後、増加傾向にあるオフィスワーカーを見込んだ飲食需要の高まりはランチ需要をも生み出す。さらに、円山町では相次いで高層共同住宅の建設も進められており、“働く”だけでなく、“住む”街としての認識も高まっていくことが予想される。将来、居住者を対象としたカジュアルなスーパーの進出も計画されているとも伝えられている。バブルの崩壊で、一旦は再開発の長れが止まった円山町に、時を置いて今、変化が訪れている。混沌とした猥雑なパワーを残したまま、エネルギッシュに変化を遂げるようとする円山町、次の一手に期待がかかる。

渋谷イメージ
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