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残されたポテンシャル・ゾーン
「渋谷イースト(渋谷区東)」浮上の兆し

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■戦前は渋谷の中心だった「渋谷イースト」周辺

渋谷駅東口から「明治通り」を恵比寿方面に500メートル程行ったところに「並木橋」交差点がある。ここは人気の代官山と青山を結ぶストリート「八幡通り」とクロスしており、人の流れが一端途絶えるポイントでもある。この「並木橋」から、「駒沢通り」とクロスする「渋谷橋」交差点までの約700メートルの両側が住居表示では「渋谷区東1~3丁目」となる。この間、「明治通り」と並行して渋谷川、山手線が走り、さらに並木橋~氷川橋間では東急東横線がカーブを描き代官山へとつながっている。渋谷、代官山、恵比寿、広尾と隣接する東1~3丁目は好条件の立地ながら、これまで何故か“商売には不向き”のエリアとされてきた。

明治通り

1946年より東2丁目で傘店を営む「中島商店」の店主・中島さんは、東地区の変遷を次のように語る。「現在の東交番から恵比寿方面に向かっての一帯はすべて空襲で焼けた。かつての氷川町(ひかわちょう=旧町名、現在の東2~3丁目)には代々、渋谷村役場、渋谷町役場、渋谷区役所があり、映画館もあった。東は渋谷の中心地だった」という。終戦後、復興した「明治通り」には、豆腐屋、八百屋、魚屋などが軒を連ねた。「明治通り沿いのほとんどの家が2階建てで、1階が商店、2階が自宅という形態の商いだったが、ビルが建つようになり、商店が徐々に減り、やがて数年続いた明治通りの拡幅工事でほとんどの商店は撤退し、代わりにすべての路面にビルが建った。現在の明治通りで普通の小売業は難しい。昼間の人口は多いので、ラーメン店など飲食店が増えるのはよくわかる」と、東地区最古参の中島さんは話す。

明治通り沿いにインテリジェントビルが建設され、大手スーパーが進出するなど、エリア開発に新たな兆しが見えたのは「明治通り」の拡幅工事(1998年3月終了)以降のこと。拡幅工事で主に幅が広がったのは渋谷駅から広尾方面に向かう左側。1998年以降、並木橋~渋谷橋間に、インテリジェントビルや大型施設の建設ラッシュが始まる。1998年2 月、大型スーパー「ライフ」の渋谷東店がオープン。2000年には、東3丁目に明治通り沿いにひと際目立つツインビル、MOビルとKHOビルが開業。MOビルには、ポータルサイトを運営するリクルート「アバウトドットコム」や、エンタテインメントコンテンツ企画・制作を営む「アイ・エム・ジェイ」など、IT関連企業が多く入居している。1990年代末には、周辺のビルにも、IT関連企業の進出が相次ぐ。2000年9月、紀伊国屋書店本社が東3丁目のビルへ移転。さらに2002年2月、紀伊国屋書店本社の隣に「渋谷区ひがし健康プラザ」が開設するなど、昼間の集積人口が大幅に増加した。東は道路の拡幅を機に明るいイメージに変身し、“通過する通り”から“働くエリア”へと変貌した。

紀伊国屋書店 ライフ
中島商店

2002年2月、旧簡易裁判所跡地に開設した「渋谷区ひがし健康プラザ」は、福祉、医療、保険、スポーツ、レクリエーションなどの機能を併せ持つ、地下2階、地上4階の複合施設。地下2階に設えられたプールは一般400円(2時間)。25メートルのメインプールをはじめ、ジャグジープールやクアプールも設置。3階にはバスケットボール(1面)、卓球(12台)、バレーボール(2面)、バドミントン6面)が可能なアリーナが設置されている。こちらも個人使用料、一般400円。

渋谷区ひがし健康プラザ/TEL 03-3463-1211

一方、1999年には、新日本プロレス本社が東2丁目に移転、同時に直営店「闘魂SHOP」がオープンする。週末や春休み、冬休みともなれば全国からファンが押し寄せるメッカとなっている。

闘魂SHOP 新日本プロレス本社

角度を変えてみれば、東エリアは教育機関の集積地でもある。広尾中学、広尾高校、実践女子学園中学校・高校、國學院大學渋谷キャンパスなどの学校が集まる東エリアは、もともと風紀地区という側面を持つ。かつて渋谷村役場、渋谷町役場、渋谷区役所と行政機関の所在地であっただけに文教地区の面影は現在も受け継がれている。ただ、こうした学校周辺と渋谷駅・恵比寿駅を結ぶ都バスの路線が定着していることから、東には“学生街”的なエリアは存在しない。

渋谷区ひがし健康プラザ

■「渋谷イースト」に点在する深夜の“大人の隠れ家”群

「明治通り」の拡幅工事に伴う、ビルや施設の建設を経て、“通過する通り”から“働くエリア”へと変貌し始めた東地区。前出のように学生も含めると、昼間の人口は優に数万人を超えるにもかかわらず、このエリアには飲食店が少なく昼時には“ランチ難民”があふれている。

きちんとした食事のできる飲食店が登場するのが1990年代の終わり。1997年、明治通り沿いにオープンした「Le 炭(ルタン)」(東3丁目)は炭火焼をフレンチテイストで提供する店。客層は30~40歳代がメイン。営業時間も翌3時までと大人に対応したシフト。路面店だが、有名人が深夜“お忍び”で足を運ぶ店でもある。店長の林さんは「東は夜が弱い。特定の店を目指してくる人以外、界隈に足を踏み入れない。フリー客は少ない」と、エリアの特徴を語る。「若者は渋谷へ行く。東では目的意識を持って来てくれる人を対象とするしかない。中途半端な店、安いだけの店は大人には受け入れられないだろう」と、先駆者として分析する。

Le 炭/TEL03-3406-6444
Le 炭(ルタン)

1998年、明治通り沿いにオープンした中国ラーメン専門店「揚州商人恵比寿店」(東2丁目)は、渋谷駅から並木橋につながる“ラーメン激戦区”からやや距離を置く場所にあり、昼、夜とも多くの客で賑わっている。営業時間も界隈で稀少な翌朝4時まで。「昼は2回転。サラリーマン、OLのランチ需要でいっぱい。深夜の客層は、仕事帰りのサラリーマン、タクシードライバーが多いが、中でも最も多いのが若い客」(店長の田中さん)という。東エリアにも深夜の食事ニーズが存在することを物語っている。

揚州商人

1998年、ビルの地下にオープンした「Brand-New D(ブランニュー・ディ)」(東1丁目)は、リリース前後の新譜のみをオールジャンルで流す和風ダイニング。同店は音楽制作・アーティストマネジメントを営むアーティマージュ(東1丁目)の経営。店舗事業部で同店店長の太田さんは「店は路面から見えにくく、やや入りにくいので、客層も特殊。音楽制作会社が経営していることと、周囲に音楽関連のスタジオが多いこともあり、音楽業界の人と一般の人の割合は半々。年齢も20代後半~30代」と、“業界人指数”と大人の“隠れ家指数”が高いことを語る。営業時間も翌3時までとあって深夜がメイン。「夜になるとあたりはとても静か。深夜でもきちんとした和風の料理が食べられる店が近くにないので、距離的に近い麻布からも客は集まる」(太田さん)という。

アーティマージュ

2000年4月、都バス車庫の並び、山手線の見える場所に開店した「デキシーダイナー」(東2丁目)は、多くの若者を集客する人気のカフェ。営業時間も12時~翌4時で、深夜ともなれば周囲に何もない場所に同店の灯りだけ輝いている。一見、ポツンと点在するこの店は、昨年、JR渋谷駅に新南口が誕生し、山手線沿いに徒歩7~8分で来られることや、すぐ近くにある山手線をまたぐ歩道橋を越えると、代官山のキャッスルストリート方面と続く絶妙なロケーションが見逃せない。人通りの少ない店内は、自由に閲覧可能なファッション誌やインテリア誌を片手に、まったりとした時間を過ごせる“穴場”ともなっている。

デキシーダイナー/TEL 03-5778-3236
揚州商人恵比寿店

2000年には、東にはなかった業態、バー&ダイニング「KITSUNE」(東2丁目)がオープン。同店は、ブロードバンド事業に注力する「有線ブロードネットワークス」(本社・千代田区)の経営で、業界関係者で賑わっている。営業時間は翌3時まで。同社店舗事業部レストラングループ、チーフリーダーの高橋さんは「元々のコンセプトはクラブ・ディスコ。今は、レストランにDJブースを入れて音楽も食事も楽しめる、お洒落して出かけていける店を目指している。かつ、料金は居酒屋価格でスノッブな遊びを提案したい」と説明、飲食業態の先端トレンド「フーディング・レストラン」を目指す。東エリアについては「『KITSUNE』は大人の隠れ家で、“こんな店、知っているよ”と友人に教えたくなるような店。“わざわざ立地”と呼ばれるような場所が良かった」と、高橋さんは話す。音楽を主眼に置いた飲食店で、いい意味で“大人の不良”が集まれる場所は、多少駅から遠いほうが、隠れ家っぽさが増すといえる。

KITSUNE/TEL 03-5766-5911

東エリアのビルの賃料は数年前にダウンした時期があった。現在、繁盛している店舗の多くは賃料が下がった時期に入居している。しかし、地元で店舗物件を多く扱う不動産業「シノザキ」(恵比寿)では、「すでに東の路面には物件は数少ない。新しいビルが多いので、1階に飲食店が入ることを嫌う」と話す。家賃の相場は坪30,000~50,000円。それでも渋谷や恵比寿と比較すると、まだ安い。物件を探している出店希望者は後を絶たないという。

KITSUNE

■東に進出する気鋭のフードビジネス

恵比寿を本拠に都心部で多店舗展開を図る焼肉の「トラジ」が打ち出す新業態、鉄板焼「ホルモン本舗」(東1丁目)が6月7日(金)、明治通り沿い(「ライフ」前)にオープンする。営業部長の金沢さんは「トラジ色は全面に出さず、初心に戻ってゼロからスタートする覚悟で開店したい。スタッフが自分たちで壁を塗るなどして、文字通りのローコスト店舗を心掛ける。トラジブランド抜きでどこまで支持を集められるのか―という課題に敢えてチャレンジしてみたい」と抱負を語る。コンセプトは「下町情緒あるホルモン屋さん」。

並木橋から東交番前あたりの界隈は、「JRAウインズ渋谷」(渋谷3丁目)帰りの客が多いことと、進出した店が投資した資金を使い果たす=「元を擦る」ことから、転じて“もとすり通り”の異名もある通り。金沢さんは「“もとすり通り”と言われた過去はあったものの、東エリアは、飲食にとっては悪くないマーケット。恵比寿から東にかけてはまだまだ開発の余地が期待できる。『ホルモン本舗』では店長を置かず、若いスタッフに自由にやってもらう」と、エリア進出と運営形態とも実験的な試みであることを明かす。同店では、トラジの客単価4,000~4,500円より1,000円安い客単価を設定。ホルモン480円、豚バラ980円、赤肉2,980円ほか。営業時間は17時~25時。

ホルモン本舗 TEL 5774-4422 トラジ
ホルモン本舗 ホルモン本舗

6月12日(水)には、山手線の線路脇に「宮崎地鶏炭火焼 車 恵比寿店」(東3丁目)がオープンする。同店は、関西で多店舗化に成功した宮崎地鶏専門店の東京1号店。同店の店舗プロデュース、運営を担う「空間計画」の代表で、1972年生まれの野口さんは自ら“団塊ジュニア”を名乗り、自分たちの世代が求める店舗を提案してきた。「東エリアは駅からのアプローチは良くないが、目的を持って来てくれる客を対象とした商売なら成立するはず。店舗デザインが優先する昨今の飲食空間ではない、本物感のある店を手掛けたい」と意欲を見せる。同社は飲食に特化した店舗設計で多くの実績を持つが、「宮崎地鶏炭火焼 車 恵比寿店」は直営店として挑む。「飲食店のプロデュースといっても、スタッフが若く、直営店を持っていないので説得力に欠ける部分があった。現場を知る上でも、今回は本物の宮崎地鶏のおいしさを提供する側に回り、当社の新たなチャレンジと位置付けたい」という。

野口さんは「恵比寿は新たな物件を取得しにくいが、東はまだ余地がある」と見込んでいる。「恵比寿や東は住宅地が多く、恵比寿も世間で言われるほど、若者ばかりの街ではない。『車』は、平日は恵比寿に集まるお洒落な若者に来て欲しいが、週末には大人にも足を運んでもらえるよう考えている」。同社が近隣を対象に実施した事前の「オープン記念キャンペーン」(食事代半額招待)では、40~50歳代の申込みが多く、確かな手応えを掴んでいる。地鶏もも炭火焼980円、地鶏のたたき800円、地鶏の南蛮揚げ680円、地鶏しゃぶしゃぶ(1人前)3,000円など、東京では馴染みの薄いメニューだが、関西ではポピュラーな料理が並ぶ。

宮崎地鶏炭火焼 車 恵比寿店/TEL03-5778-9601 空間計画
宮崎地鶏炭火焼 車 恵比寿店

渋谷~代官山間の導線、代官山~恵比寿間の導線が確立した今日でも、渋谷~恵比寿間は徒歩で歩くにはやや距離がある。その中間にあって静寂感すら漂う文教地区=東は、渋谷、代官山、恵比寿、広尾と隣接し、渋谷周辺では今後の潜在性を秘めたポテンシャル・ゾーンでもある。近年、このエリアに、流行の臭覚に敏感な料飲店が触手を伸ばしつつある。これまでは“通り過ぎる”だけだった「渋谷橋」~「並木橋」間の中程にバー、カフェ、焼肉店といった業態が揃い始め、街の彩りが少しずつ変化をきたしている。さらに、この点在感が“隠れ家指数”を高く押し上げる。渋谷からも恵比寿からも“程よく”遠い立地を逆手に取って、主にオトナをターゲットとした店が敢えて出店するケースが目立つ。渋谷・代官山・恵比寿という“ストライク・ゾーン”をやや外したエリアに位置する“渋谷イースト”は、静かに“オトナの遊び場”へと変貌を遂げようとしている。

個性的な飲食店が点在する“渋谷イースト”も、やがて“点”がつながり“線”となる日が来る。同時に、渋谷・代官山・恵比寿を頂点とする巨大なスーパー回遊ゾーンが誕生する日でもある。

明治通り
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