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サンロッカーズ渋谷の元チア・小笠原礼子さん、NBA「ピストンズ」ダンサー合格

NBAのダンサー合格を「自分以上に周りの人たちが喜んでくれたのがうれしい」と話す小笠原さん

NBAのダンサー合格を「自分以上に周りの人たちが喜んでくれたのがうれしい」と話す小笠原さん

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 Bリーグ・サンロッカーズ渋谷のチアリーダー(チア)「サンロッカーガールズ」の元メンバー小笠原礼子さんが、米プロバスケットボールリーグNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)「デトロイト・ピストンズ(以下、ピストンズ)」のダンサーに合格した。

サンロッカーガールズとして3シーズン活動した小笠原礼子さん

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 1986(昭和61)年青森県出身の小笠原さん。進学時に学校案内で見たチアの衣装に憧れ進学した高校でチアリーディングを始めた。2003(平成15)年に県内で開催された青森アジア冬季競技大会のオープニング演技に出演する際、日本チアリーディング協会から派遣された指導者の指導を受け、楽しさに気づいたという。

 その経験から「青森でチアを広めたい」と指導者を志し、大学在学中に日本チアリーディング協会認定の指導者資格を取得。卒業後、実績をつくるため上京。チアの大会で優勝経験が多い社会人クラブチーム「デビルス」などで活動していた。動画で見たサンロッカーガールズのダンスに「一目ぼれ」し、Bリーグ初年度の2016(平成28)年にサンロッカーガールズのオーディションを受けるも不合格。諦めきれず受けた翌2017(平成29)年に合格し、昨シーズンまで活動した。8年ほど渋谷区内に住み、区内のダンススクールに通うなどしていたが、サンロッカーガールズとして地域活動にも取り組み、「住んでいる街をアピールできるのはうれしかった」と振り返る。

 大学在学中から「ぼんやりNBAのダンサーに憧れていた」という小笠原さん。昨夏には、ラスベガスで開催されたNBAのダンサーやNFL(ナショナル・フットボールリーグ)のチアリーダーらが参加するダンスキャンプに参加。「レベルは高かったが、頑張れば行けるのでは」と手応えをつかんだ。今年2月~3月に新型コロナウイルス感染症の流行を受けBリーグが中断した際に今後のキャリアを見つめ直し、NBAのダンサーに挑戦することを決めた。小笠原さんは「『来年にしたら』という声もたくさんもらったが、来年行けるかも分からないし、諦めなくても良いなら今が一番良いタイミングかも知れないと思った」と言う。

 例年NBAのダンサーのオーディションは6~8月にあるが、新型コロナウイルス感染症の影響もあり、なかなかオーディション情報が出てこなかった。10月からはいつオーディション情報が出てきても良いように勤めていた会社を休職し、トレーニングやダンスの練習をして準備していた。そうした中、ピストンズのダンサーオーディション情報が11月10日にSNSで発表された。全てZoomを活用したオンラインで行われることから、日本からも受けられると応募。11日と13日に行われた練習会への参加を経て、16日に1次選考が行われた。28日にメールでファイナル進出の通知を受け、12月2日の最終選考に参加。4日に再びメールで「最後の最後」と再び選考の告知を受け、5日にダンスを披露した後、その場で合格を告げられたという。80人ほどが集まった中から選ばれたのは16人。ピストンズ初の日本人ダンサーとなる。

 小笠原さんは「うれしいより、ほっとした気持ちの方が大きかった」と心境を明かしつつ、「挑戦するには若くはないし、競技チアでは試合に出場するまでに時間がかかったし、サンロッカーガールズも一発合格していない。そんな自分でもできるというのを証明したかった。人を笑わせたり元気にしたりするのが好きだったので、誰かの何かのきっかけになれたらうれしい」と笑顔を見せる。

 NBAは今月22日(日付は全て現地時間)にシーズンが開幕。ピストンズのダンサーも活動を始めている中小笠原さんは、Zoomで現地の練習に参加するなどしているという。「早く行きたい」と高揚感をうかがわせつつ、現在はビザの取得に動いており1月中の渡米を目指している。渡米後は2週間の隔離を経てチームに合流する予定。「(ダンサーの中で)最年長なうえ、外国人でもあるので、自分が頑張ることで良い影響を与えられたら。(日本の人たちに向けては)自分がたどってきたプロセスや現地での活動を発信していきたい」と話す。

 1年契約でシーズンが終わる7月まで試合でのパフォーマンスや地域活動などを行う予定だが、来年以降もオーディションを受け活動を続けたいという。

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