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モーグル原大智選手、母校で銅メダル報告 渋谷区区民栄誉賞1号受賞

後輩である小中学生たちと交流した原大智選手(中央)

後輩である小中学生たちと交流した原大智選手(中央)

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 平昌冬季オリンピック大会で銅メダルを獲得したフリースタイルスキー男子モーグルの原大智選手が3月29日、母校である渋谷区立広尾中学校(渋谷区東4)で開かれた報告会に出席した。主催は渋谷区。

集まった子ども達と握手を交わすなどした

 1997年渋谷生まれの原選手。小学6年の頃、本格的に競技としてモーグルを始め、16歳で単身カナダへスキー留学。17歳でフリースタイルスキーのワールドカップ(W杯)に出場を果たし、翌年の同大会では自己最高の4位をマーク。今回初出場した五輪で同競技男子としては史上初、今大会の日本選手としても初のメダリストとなった。

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 報告会には、原選手の母校である広尾小学校・中学校の児童とその保護者、その他区内の小・中学生、区報で知った区民など約400人が来場し快挙をたたえた。

 長谷部健区長は「まさか都会である渋谷区から冬季オリンピックのメダリストが誕生するとは、正直夢にも思っていなかった」と驚きを表現し、五輪開催前の表敬訪問時に「『金メダル狙う滑りをする』と強い宣言をしていたので、大きな期待を持っていた。見事な滑りを見せて多くの皆さんに勇気と希望と、夢を与えてくれたのでは。本当におめでとうございます」と祝いの言葉を贈った。

 区では今回、スポーツや文化・芸術分野で国際的に評価される栄誉を受けた人を表する「区民栄誉賞」を新設し、その1号に原選手を認定。長谷部区長は「この賞を励みに糧に、北京でもまた渋谷を愛する人に夢と希望を与え続けてほしい」と期待を込めた。長谷部区長から賞状を受け取った原選手は「区長が賞状を読み上げている時、ウルウルっと涙がこぼれそうになった。もらえるとは思っていなかったので、本当に頑張ってきてよかったと思えた瞬間だった」と喜びを表現した。

 平昌五輪では日本選手団のメダリスト1号、同競技男子としては史上初のメダリスト、区民栄誉賞第1号と「1号」が続いていることについては「1号続きが何か運命のような気がした。ありがとうございます、の言葉しかない」とも。

 会では、小学校と中学校の代表者と「先輩後輩トークセッション」を展開。中学時代に得意だった教科を聞かれると「体育」と即答し、「陸上は苦手で、走るのは大嫌い。バスケや野球、バレーとかは楽しかった。体育が得意だと思っていたけど、成績は3でした」と笑いを誘った。中学時代には毎週末スキー場に行っていたことから「友達と遊んだことはあるか」という質問には「グサリときた」と振り返りつつ、「5回など数えられるくらいしかないが一応あります」と答えた。

 「目立ちたがり屋だった」原選手。小学生の時は、じゃんけんに勝てず学芸会の主役になれなかったことや、中学生の時文化祭では「海外に合宿に行っているうちに決められていた」という合唱コンクールで指揮者をやって「恥ずかしかった」ことを思い出として挙げた。渋谷は「大人の街」のイメージで、子どものころは遊びに行く場所が無かったというが、モーグルを始める前は恵比寿の駄菓子店にはよく行っていたという。渋谷は「地元なので一番しっくりくる場所」と言い、平昌五輪後地元で声をかけられることは「たまーにあるくらい」だという。

 幼少期、アウトドア派な両親に連れられスキーに出合った原選手。その中で「楽しみだったのがコブとジャンプ。その両方が合わさったモーグルで、『楽しい、かっこいい、これだ』と、この種目で五輪の金メダルを目指そうと思った」という。以降「五輪で金メダル以外ありえないと思っていて、出られないということも一度も思ったことない。出て当たり前だと思っていた。それが原動力になったのでは」と振り返った。

 「努力は報われるという言葉はあまり信じていなかった」という原選手。「皆が人より努力しようとしているのにメダルを取れるのは3人しかいないし、その3人の中に入れるかは分からかった。この1年間、辛くて辞めたくて競技が楽しくなかった時期も訪れた。でも、本当に昔からの夢だった五輪に出て金メダルを絶対取るんだという気持ちは変わらず、五輪までは全力で頑張るとやってきた。その結果が銅メダルという偉業を達成でき、その瞬間に努力は報われるという言葉を信じられた」と話した。

 来シーズンに向けては「(練習などが)いつから始まるのかは分からない」としながらも、「今年はスロースタートで始めていこうかなと。ジャンプの難度を上げなければ世界王者になることはかなわないと思っている。必死にやらないと」とも。

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