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原宿の洋菓子メーカー「コロンバン」が創業100年 「さらに挑戦を続けていく」

創業者や顧客らに感謝しつつ「さらに挑戦を続けていきたい」と話した小澤俊文社長

創業者や顧客らに感謝しつつ「さらに挑戦を続けていきたい」と話した小澤俊文社長

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 原宿の洋菓子メーカーのコロンバン(渋谷区神宮前6)が3月1日、創業100周年を迎えた。

100周年を記念した「ロワイヤルショートケーキ」

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 大森で本格的なフランス菓子店「コロンバン商店」として創業した同社。創業者は宮内省大膳寮員として天皇陛下に料理を提供していた経験を持つ門倉國輝。菓子製造視察研究のために渡仏後、パリの菓子店「コロンバン」に初の日本人として入社し、技術力などが認められ日本での「コロンバン」の使用許可を得たことから、同ブランド名を掲げて1924(大正13)年3月1日に創業した。創業日は同日と3月中旬の2説があったが、100年を機に文献などを調べ直し「3月1日」だったことが判明したという。

 広域渋谷圏では、渋谷・公園通り近くの自社ビル(神南2)の地に、かねて工場を構えていたほか、1951(昭和26)年には「東横のれん街」(当時)に実演室付き店舗を出店。1967(昭和42)年には門倉一家が暮らしていた表参道沿いのビルを改装し「原宿本店サロン」をオープン。時期は明確ではないというが、1970年代から原宿に本社を構えている。

 小澤俊文社長は「お客さまや株主、ステークホルダー、従業員などにも感謝しているが、創業者・門倉国照が会社を作らなければこの100年間、今のコロンバンは無いので、彼の偉大さにまず感謝している」と創業100周年を喜ぶ。1944(昭和19)年には第二次世界大戦により砂糖の配給が停止され休業したほか、バブル期には200店舗ほどに店舗を拡大するも崩壊後は売り上げの約85%を占めていた百貨店の衰退に伴い事業が縮小。約20年前には「倒産の危機」もあったが、「考え方やビジネスの方針を変えるなどして乗り越えてきたからこその100年。簡単なわけではない」と重みをかみしめる。

 小澤社長は2004(平成16)年に監査役として入社し、2006(平成18)年に現職に就いた。当時は再建のために販路の開拓や新しい商品の開発に取り組んだ。素材費や人件費がかかる生菓子は「赤字」だが、「見てきれい、おいしそうと思ってもらうことが大事なので、少し高くても素材にこだわったおいしいものを作ろう」と原点回帰。焼き菓子は、創業当初から販売する「フールセック」で学校や企業とコラボレーションするなど、販路拡大などにも乗り出した。

 現在は、渋谷の自社ビル屋上で行っている、養蜂事業で採れた蜂蜜を使った「原宿はちみつプリン」や「原宿ロール」、焼き菓子では「原宿焼きショコラ」など原宿の地名を付けた商品も展開。門倉が同エリアの商店会である原宿表参道欅(けやき)会の前身となる「原宿シャンゼリゼ会」を立ち上げた歴史もあり「我々の現在地であり、地元」(小澤社長)と考える。エリアの再開発などもあるなか、「当社が中心になって原宿が発展していくような存在になれたら」と話す。

 門倉が本場で洋菓子を学び伝えたというストーリーや歴史があり、「そのプライドや誇りは受け継がれてきている」と自負し、「門倉の原点であるおいしいお菓子を作り続けて笑顔で幸せになっていただくということが、本当の意味で創業者の意思を継ぐということ」とも。

 100周年のテーマは「伝統と挑戦」。「伝統は、変化の蓄積。『伝統は守る』と言うが守っていたら潰れていく。ここで満足するのではなく、技術などは守りつつ、常に変化、新しいことに挑戦することが歴史・伝統になるので、これまで同様、さらに挑戦を続けていきたい」と意欲を見せる。かねて検討していた原宿でのサロン再出店の計画も進んでいるという。

 同日から昨年オープンした原宿の店舗(神宮前6)など一部店舗では、門倉が考案したとされるスポンジケーキ・生クリーム、イチゴを組み合わせたショートケーキの100周年記念版を発売。日頃販売しているショートケーキよりも卵黄の量を多くすることで「カステラのような」スポンジに仕上げ、中沢乳業の「45%純生クリーム」や沖縄・読谷で作られている国産のバニラビーンズなどを使った生クリーム、埼玉・秩父の「ただかね農園」で栽培されたイチゴ「あまりん」を使った。デザインは創業当初と同じ長方形にし、金粉を飾り華やかに仕上げた。価格は2,484円。5月末ごろまでの販売予定(育成状況により異なる)。

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