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桜丘町の小料理屋「三漁洞」が休業へ 創業51年の歴史にいったん幕

いつも笑顔で出迎えるおかみの石橋光子さん

いつも笑顔で出迎えるおかみの石橋光子さん

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 渋谷・桜丘町で51年間営業を続ける小料理屋「しぶや 三漁洞(さんぎょどう)」(渋谷区桜丘町)が10月31日の営業をもって、駅周辺の再開発に伴いいったん休業する。

舞台美術家・伊藤熹朔が手掛けた店の内装

 1967(昭和42)年、「笛吹童子」などの作曲家で、尺八奏者として知られる福田蘭童が開業した同店。大の釣り好きであった蘭童が、友人や仲間たちに自分の釣った魚を振る舞うプライベートサロンとして店を構えたのがきっかけ。井伏鱒二、志賀直哉、戸川幸夫、石川達三、兼高かおる(以上、敬称略)ら文化人との交流も深く、当時は頻繁に出入りしていたという。

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 店名の「三漁洞」は海釣り、川釣り、さらに女性好きだった蘭童にちなみ「おか釣り」を加えた「三漁」に、洞窟のような地下階であったことから「洞」を組み合わせて名付けられたという。「当時、桜丘町には(飲食店などは)何も無かったが、商売で始めたわけでもなかったので、立地を考えずにここを選んだのでは」と話すのは、おかみの石橋光子さん。蘭童の長男、元クレージーキャッツ・石橋エータロー夫人である光子さんは「蘭童も石橋も商売経験がない素人だったので、どうやっていいかも分からない。アルバイトなんて雇うなんて考えられなかったので、開業後しばらくは私と蘭童の妻で松竹のトップスター川崎弘子の2人で接客を始めた。当時いらしたお客さまは、きっと驚いたでしょうね」と笑みをこぼす。

 「51年間、全く変わらない」という店の内装は、蘭童と親交があり「舞台美術の巨人」と呼ばれた伊藤熹朔(きさく)が手掛けたもの。カウンター、テーブル席、小上がりの座敷から成る和風の造り。店内中央には大きな木の柱が立ち、天井には立派な梁(はり)がむき出しになっている。「向かい合うお客さん同士のコミュニケーションを円滑にするため、熹朔さんはあえて幅を狭くしている。最初は驚くが、慣れると一番居心地のいい距離感」というテーブルは、ヒノキの無垢(むく)一枚板で特別に作ったという。さらにカウンターや店内の壁には、エータローがしたためた「書」「お品書き」、蘭童やその父で洋画家・青木繁が描いた絵、クレージーキャッツ時代の写真やサインなど、3世代にわたる芸術家一家が残した作品の数々が飾られている。

 内装や装飾のほか、料理も値段も開業当時とほぼ同じ。「お客さまのほとんどが定食のようにぶり大根、あさりの酒蒸し、刺し身盛りを注文される。開業から職人さんも変わっていないので、当時の味がそのまま味わえる」。常連に愛される店である一方、「最近はインターネットのおかげで、(こうした和風な店を好む)若い女性やカップル、外国人観光客なども増えている。気取った営業もしていないので、若い人にとっては家に帰ったような落ち着きがあるのかも」と客層の広がりを実感しいているという。

 1976(昭和51)年に蘭童が亡くなってからは、光子さんが店を切り盛りしてきた。店が繁盛し1982(昭和57)年には同店近くに2号店を出店。たまにはエータローも店に立つことがあったが、客にはなかなかあいさつができなかった。見かねた光子さんが「あなたの店だと思ってお客さまは来ているんだから、いらっしゃいませとかこんにちはとか言わないのって言ったら、彼は『知らない人にはあいさつできない』と言うんですよ(笑)」とエータローのシャイな一面を振り返る。「なかなか彼の良さは人には伝わらないが、すごく気遣いのできる優しいいい人。でも、それをあえて口に出すのが嫌いな人だった。もっと長生きしてくれたら…」。その後、エータローが亡くなり、光子さんも体調を崩したため、1店舗に規模を縮小して現在に至っている。

 同地区の再開発に伴い、店を一時休業することに対して、光子さんは「ここで51年間生きてきたし、東京はここしか知らない。家族みたいに過ごしてきたお客さんとの時間を考えると、突然ここが無くなる寂しさは人様には分からない」と思いを募らせる。さらに「店を完全に閉店することも一度は考えたが、『何とか続けてよ』『僕らが応援するよ』と言ってくれる常連さんの熱意が本当にありがたくて、うれしくて。お父さん(蘭童)、主人が残してくれたこの店を死ぬまで続けようと決めた」と言い、「来年春、桜が咲くころに同じ桜丘町で仮店舗を開きたいと思い、今、物件を探しているところ。5年後、再開発が終わって新しいビルが建つまで、何とか元気で頑張って、大好きなここに戻って来たい」と新たな夢に向けて期待を膨らませる。

 営業は10月31日まで。一時休業の後、来年3月ごろを目標に仮店舗での再出店を目指す。営業時間は月曜~土曜の16時~23時30分。日曜定休。

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