見る・遊ぶ

渋谷で彫刻家・安藤照没後80年記念展 忠犬ハチ公像など生涯「網羅的に」

安藤照「忠犬ハチ公」制作年不詳 鹿児島市立美術館蔵

安藤照「忠犬ハチ公」制作年不詳 鹿児島市立美術館蔵

  • 13

  •  

 彫刻家・安藤照没後80年を記念した展覧会「黙然たる反骨 安藤照―没後・戦後 80 年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」が6月21日から、渋谷区立松濤美術館(渋谷区松濤2、TEL 03-3465-9421)で開催される。

安藤照「女の首」1923(大正12)年 鹿児島市立美術館蔵

[広告]

 安藤の没後80年を記念した同展では、戦火を逃れ現存する安藤の作品約30点や、関連する作家の作品と共に、生涯や彫刻家としての活動を「網羅的に」紹介する。

 安藤は1892(明治25)年に鹿児島県鹿児島市生まれ。1915(大正 4)年、早稲田大学商科へ進学するために上京。芸術家を志すために同校を退学し1917(大正 6)年に東京美術学校彫刻科塑造部予備科に入学。同校在学中の1921(大正10)年に帝国美術院展覧会で彫刻家としてデビューした。1929(昭和4)年には中堅彫刻家の作品研究の場として団体「塊人社(かいじんしゃ)」を結成・リーダーを務めた。

 1934(昭和9)年に忠犬ハチ公像(初代)、1937(昭和12)年に西郷隆盛像をそれぞれ制作したことでも知られる。1945(昭和20)年5月に代々木の自宅兼アトリエが空襲にさらされ亡くなった。

 同校在学中には「親友」となった彫刻家・堀江尚志や師の彫刻家・朝倉文夫など安藤の人生に「影響を与えた人々」と出会ったという。

 第1章「梁山泊の中で ―安藤照、彫刻家になる」では、初期の作品や「ライバル」だった同世代の彫刻家の作品を紹介する。続く第2章「安藤照と動物彫刻」では、「動物好き」だった安藤が多く制作したという動物彫刻や、「塊人社」のメンバーが手がけた動物彫刻を展示する。

 当時の彫刻家の多くは郷里を出て東京や京都などの美術学校に通い彫刻家としての研さんを積み、卒業後はそこで開催される美術展覧会に出品しながら、「大都市」を拠点に地元の名士たちの肖像彫刻やモニュメントの制作を手がけていたという。安藤も同様で、東京では団体展に出品し、鹿児島では地元の人たちのために作品を制作していた。第3章「鹿児島のために、渋谷のために」では、鹿児島ゆかりの作品や、安藤の死後にアトリエ跡から発見された1934(昭和9)年完成の「忠犬ハチ公像」建設募金活動の返礼用として作られたとみられるテラコッタ製の忠犬ハチ公像など、渋谷を代表する「忠犬ハチ公像」について紹介する。

 1928(昭和3)年の帝国美術院展審査員選出を巡る騒動をきっかけに結成した塊人社を紹介する第4章「『塊人社』結成 ―アラウンド・安藤照」を経て、最終章「迫りくる戦禍―安藤照の死」では、1931(昭和 6)年の満州事変から 1941(昭和 16)年の太平洋戦争開戦、1945(昭和 20)年の安藤の死までを追う。

 安藤は戦禍でも作品を作り続けたが、彫刻家も戦争に協力しなければならない圧力が強まり、1944(昭和19)年に塊人社の社員で軍需工場「軍需造形」を立ち上げ、日立航空機の下請けとして戦闘機の部品の石こう型を製作した。その翌年となる1945(昭和20)年の5月24日~25日にかけての大空襲「山の手空襲」により53歳で逝去。多くの作品を保管していたというアトリエも爆撃されたことから、作品のほとんどが焼失したという。

 会期中の7月27日には愛知県立美術館の平瀬礼太館長による記念講演会「戦時期の彫刻」(定員70人、往復はがきや同館ホームページから7月7日まで応募を受け付ける)を、8月1日・2日には金属を溶かしてオリジナルのメダルを作る小・中学生向けの美術教室(同各日14人、同じく応募締め切りは7月14日)を、それぞれ開催。

 8月9日には、「塊入社」で活動した村田勝四郎の彫刻を触りながら学芸員が彫刻鑑賞のポイントを解説する「手による鑑賞」を、7月11日・20日・26日には担当学芸員による展覧会の内容を「掘り下げた」テーマで話す「ピンポイントトーク」を、それぞれ行う。今月27日、7月4日・11日・18日・25日、8月1日・8日・15日には職員による館内の建築ツアーも予定する。

 開館時間は10時~18時(金曜は20時まで)。入館料は、一般=1,000円、大学生=800円、高校生・65歳以上500円ほか。月曜、7月22日、8月12日休館(7月21日、8月11日は開館)。8月17日まで。

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース