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渋谷・桜丘町の老舗ジャズ喫茶「メアリージェーン」が閉店へ 46年の歴史に幕

レンガ造りのビル1階にある「メアリージェーン」入口

レンガ造りのビル1階にある「メアリージェーン」入口

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 往年の「ジャズ喫茶」ブームの面影を残す渋谷・桜丘町の老舗ジャズ喫茶「Mary Jane(メアリージェーン)」(渋谷区桜丘町、TEL 03-3461-3381)が10月下旬、同地区の再開発に伴い46年の歴史に幕を下ろす。

メアリージェーン店内の様子

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 60、70年代、コーヒー代で高音質のジャズが聴ける「ジャズ喫茶」が若者たちの間で大流行。特に道玄坂・百軒店かいわいは「ジニアス」「スウィング」など、当時人気を博したジャズ喫茶が集積するメッカとして知られていた。1972(昭和47)年4月28日、ブーム全盛期の中で、大学を卒業したばかりの初代マスター福島哲雄さんがメアリージェーンを開く。立地は百軒店をあえて避け、当時人通りも飲食店もほとんど無かった桜丘町。照明が薄暗く屋根裏のような雰囲気の店が多かった中、同店はレンガ造りのビル2階にあり、窓が大きく明るい店内が特徴だった。「従来のジャズ喫茶とは一線を画したいという意識が強かったのでしょう」と振り返るのは、2代目で現マスターの松尾史朗さん。「昔は店前にビルもなく、窓から山手線のホームがよく見えた」と懐かしむ。

 松尾さんが同店に通い始めたのは学生だった77、78年ごろで、先輩の誘いで足を踏み入れたのがきっかけ。「他店も一通り行ったが、ここは型破りな存在だった」という。当時はスタンダード、モダンジャズに特化した店が多かったが、同時代性を重視して「フリージャズ」を積極的に取り入れていたほか、「シャンソン」「レゲエ」など、ジャズにこだわらないオールラウンドな選曲も他店とは異質だった。さらに音楽だけではなく、エスプレッソや紅茶、食器、インテリアなど、「頻繁にヨーロッパを旅していた」という福島さんの経験とセンスの良さが店づくりの随所に見られ、知る人ぞ知る店として地位を築く。

 学校卒業後、80年ごろから90年代にかけて「雇われ店長」も任された。その後、いったん店を離れて書店勤めを経験するが、2005年にマスターを引き継ぐことに。「福島さんもだいぶん疲れていたので、お願いされて仕方なく引き受けた」と本音を漏らす。「喫茶」から「カフェ」文化へとトレンドが変わり、かつて一世を風靡(ふうび)したジャズ喫茶が次々に姿を消していく時代。引き継いだ松尾さんは、「音楽」から「食べること」をメインとした店づくりを進める。調理スタッフを加え食事メニューを拡充したほか、従来はコーヒー、紅茶がメインのドリンクメニューも、「僕が酒好きだったので(笑)」と酒類を大幅に増やし、バー利用のニーズにも応えた。福島さんが残した店の雰囲気やシステムを守りながらも、松尾さんならではのやり方を加え、ジャズファンのみならず新しい客層を増やす努力も続けてきた。

 スピーカーの横にある「改装前」の古い壁板には、ヘンリー・カイザーなど、店を訪れたフリージャズの海外アーティストたちのサイン、窓側の壁面には黒田征太郎さんが即興で描いたという猫のイラストなど、店内には有名アーティストとの思い出も数々残る。「2、3年前にたまたま打ち合わせでいらした黒田さんから、長年お客さんの頭ですれて塗装が剥がれた壁を見て『そこに絵を描いてもいいですか?』と聞かれたので『全然構いません』と言ったら、あの絵になった」と思いがけないエピソードを振り返る。

 創業から46年、松尾さんが引き継いでから13年目。同店が入居するビルが「渋谷駅桜丘口地区」の再開発エリアにあるため、今月31日までに立ち退かなければならない。今後について、松尾さんは「この内装、このシステムなど、全く同じものをどこかに移してやるのは無理。あとは家賃の問題。少ない客数、少ない売り上げで、ここまで何とかやってこられたのは家賃が安かったから。この2つがクリアされない限り、同じ店はできないと思っている」と言い、さらに「気持ちの上でも違うことがしたい。正直なところ、ちょっと疲れた」と真情を吐露する。

 店舗営業は「店内の片付けもあるので、約束できるのは21日まで」、それ以降は未定。レコードや食器、インテリアなど店内の備品は「欲しい方がいれば、価格等を含めて相談に乗る」という。

 営業時間は12時~23時(金曜は24時まで、土曜は23時30分まで)。月曜定休。

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