特集

人間が地上から10センチ離れて歩く街
嘘っぽいけど嘘っぽくない街-それが渋谷
藤原新也さん(写真家・作家・画家)

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―渋谷の近くにお住まいなんですね。

代官山に住んで10年くらいかな。代官山がセンター街まで歩いて10分ほどというのは意外に知られていない。渋谷にはしょっちゅう行きます。

―代官山に住んだのは渋谷が面白いから?

代官山、渋谷は若者の消費地区で、消費の具合を見るには面白いエリア。10年前は、今ほど「渋谷、渋谷」っていう時代じゃなかった。僕は自分の住む場所を好みで選ばない。時代が臭う場所っていうか、嗅覚で選ぶ。その前は芝浦に住んでいて、いち早く新興住宅を感じていた。

―芝浦に住んでいるころ、渋谷のイメージは?

渋谷は、人間が地上から10センチ離れて歩いている感じがする。幽体離脱みたいな感じかな…。日本全土的には身体のリアリティーがどんどん無くなっているけれども、街としてそうした雰囲気を感じるのは渋谷。同じように賑わっている新宿は幽体離脱していない、まだ。雰囲気的に土着っていうのがある。例えば、新宿ゴールデン街は過去の前近代的な流れをくんでいるから、渋谷と同じようににぎわっているけど、年代的には分かりやすい。渋谷はわかりにくい。わかりにくいものには興味を持つ。これは一体何だろうと、ね。

―幽体離脱は渋谷だけですか。

代官山も結構、幽体離脱している。代官山は15センチ位かな(笑)。代官山の橋の近くにあるショップに男の子がずらっと並んでいる。異様なんだよね、その光景が。しかも、ウィークデーの真っ昼間の時間帯から。代官山で、僕なんかが見て個性的な店は大体つぶれる。これは変わっているな、個性的だなと思うと1年持たない。長持ちするのは、意外と没個性的で、しかも、ちょっとだけ差別化している店。客は、ちょっとだけ人と違う個性を求めている。それは今の教育と同じ。今の教育は、みんなと同調して外に出ない。外に出ちゃうのは落ちこぼれやヤンキー、ガングロとかで、ほとんどはテリトリーからほんのちょっとだけ、半歩だけ足をはみ出すことでアイデンティティーを保っている。教育とかで「みんないい子にしていよう」症候群があり、その延長線上に消費がある。ちょっと違うっていう、そこの差異を求めているんのでは。こういう風景は本当に嫌でね…。

―そうした意味では渋谷には個性的な若者が多いのでしょうか。

代官山の幽体離脱は15センチだが、渋谷はもう少し様々な階層があって…。もろにベタ座りしていているのもいるし…彼らは意外と幽体離脱してなかったりする。彼らは、代官山で並ぶようなマジョリティーから抜け落ちた連中。抜け落ちて引きこもっちゃう人もいるし、逆に非常に反動的になる人もいるし…。マジョリティーからずり落ちるエネルギーの方が個人的には好き。自分もそうだから(笑)。

―本の中に渋谷の「匂い」について書かれた部分がありますね。

渋谷のセンター街を歩いていると、時々ぷ~んと甘い匂いがするので、前から何だろうと思っていた。写真家だったり、作家だったりと、五感を使う仕事をしていることもあって、嗅覚がすごくいいので…。嗅覚で空気の匂いとかわかる。歩いていて、2メートルほど場所が違うと、空気の匂いがパッと変わる。だから、よく気になる匂いの方向に歩いていったりする。

―渋谷の匂いは均質ですか?それとも場所によって違う?

交差点は女子高生がつけている安っぽい香水と、サラリーマンの体臭消しや頭髪料、排気ガスの匂いが混じっていて、得も言われぬ匂いになっている。センター街でも夕方と朝はまた違った匂いがする。朝は、その残り香が半分腐敗している匂いがすんだね。これが意外といい(笑)。

―世界の街と比較して渋谷はどんな街ですか?

例えば、渋谷に類するくらいラッシュになっている世界の街角と言えば、ニューヨークのタイムズスクエアとか、アジアで言えばカルカッタの大通りとか…あれ位の人間の塊は、無くはないかな。無くはないけど渋谷の人間の塊は独特。それは、この本でも表現しているが、ノイズが重なって、完全に無意味な空間になっている。そこがいい。タイムイズスクエアなんかは何らかの意味性やメッセージ性がある。渋谷は、東急と西武が陣取り合戦してきて、その間に大型商業施設の間に雲霞のごとく、いろんな商業施設が混じり込んできた。これがものすごいノイズを発生していて、このノイズ同士が互いを消し合って、本の中でも「資本主義の最終楽園」と書いているように「楽園」になっている。例えば、南の島に行くと、ノイズが無いことでいい気分になれる。ノイズが密集して飽和状態になるからこそ異空間になる。だから、田舎の人が来るといけない。何故かと言えば、ノイズをいちいち感じようとしてしまうから。例えば、街歩いていて、呼び込みがあったらパッと振り向いたり、音楽が流れてきたら反応したり…これは疲れる。ノイズを受信してもあんまり意味がない。意味がないノイズだから「?」になる。「楽園」という言い方が正しいかどうかわからないけど、そうした意味で渋谷にエクスタシーを感じている若者は少なくないかも。

―無意味な状態も渋谷の魅力の一つと感じますか?

僕は安っぽいものはいとおしい。「庶民」という言葉がある。ものの値段に価格帯があるが、価格帯ほど嘘のものはない。例えば、海外の高級ブランド品でも突き詰めるとビニールのバッグ。それにブランドが付けば何十万になっちゃう。それをどんどんマイナスしていけば100円ショップに至る。100円ショップのものと高級ブランド品を比べると大差ないが、でも、そこが資本主義。そういうものを、ある程度正常というかリーズナブルな価格で売っているのが渋谷。何故かというと、来る人たちの懐具合に合わせているから。嘘っぽくありながら、結構嘘っぽくないのが渋谷じゃないかな。

―渋谷の10代をどう捉えていますか?

ガングロの子を見ていて、かわいいと思う。彼女たちをかわいいと思うのは何故か。変わっているからかわいいんじゃなくて、その子たちが持っている背景を感じる。取材しなくても、この子はこういう子だなとか、この子なりに一生懸命やっているんだろうなとか考える。話はちょっとずれますが、昔の中高年は「絵」になった。世界各国で写真を撮っていると、サンフランシスコの金門橋で撮影している時、おやじの後ろ姿が入ってくると空気がパッと光る。日本でおやじが入ってくると空気が壊れちゃう。それほど後ろ姿を持っていない。むしろ、子どもが入ってきた方が人間性を感じられる。

―「渋谷」というタイトルはかなりインパクトがありますね。

少女たちのこうした風景を書こうと思ったのは7~8年前で、原稿は相当削った。無駄なことを書きたくないという考えなので、どんどんシェイプアップした。その分、薄いけど中身が濃くなっているはず。料理も、じっくり作っているとおいしくないのと同じ。あまり長い間調理していると活きがなくなるので、逆にスパッと切って今作ったような料理を出したかった。「渋谷」というタイトルは、一番最後に考えた。最後の最後。いろいろ考えていって、「渋谷」というのが来たとき、そのほかのものがすっ飛んじゃった(笑)。

―「渋谷的なもの」とは、どのようなものだと考えますか?

日本全土に渋谷的なものは広がっている。例えば、渋谷より「超」渋谷が地方にあったりする。瀬戸内海の小さな島に渡し船で渡ろうとした時、走ってきた少女がガングロだった。センター街にいても目立つような…とにかくすごい。それが何故「超」渋谷かと言えば、情報で渋谷を知っているから。情報がさらに頭の中で増幅して、渋谷を演じる。少女たちにとって渋谷は、記号的なものというか聖地。

―この本についてメッセージをお願いします。

この本に出てくる少女は相当ヘビー。そうしたヘビーな状態にある少女が、どうして回復するかを描いたのがこの本。ただ、読後感がいいのが救い。決して解決策は出していないが、これだけヘビーで地獄の底のようなことを描いておきながら、読後感が決して悪くないのが救い。読後感という単にテクニックの問題ではなく、それは我々の意識の問題。そうした読後感を持ってもらえることは、彼女たちを救っていることになる。

―ありがとうございました。

「渋谷」東京書籍
ISBN:4-487-80126-5
定価:1575円(本体 1500円)
体裁:四六判 236頁

藤原新也(ふじわらしんや)
1944 年、福岡県生まれ。東京芸術大学油絵科中退。インドを振り出しにアジア各地を旅し、『印度放浪』『西蔵放浪』『全東洋街道』などを著す。他に主な著作として、『東京漂流』『メメント・モリ』『乳の海』『アメリカ』『沈思彷徨』『ディングルの入江』『藤原悪魔』『ロッキー・クルーズ』『鉄輪』『末法眼蔵』『なにも願わない手を合わせる』『渋谷』『黄泉の犬』『名前のない花』『日本浄土』など、写真集に『少年の港』『日本景伊勢』『全東洋写真』『千年少女』『俗界富士』『バリの雫』『花音女』などがある。第3回木村伊兵衛写真賞、第23回毎日芸術賞受賞。

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